|
私の思い出の曲 第36回 千野 真由美 先生 私がまだ学生だった頃、先輩からの紹介で、東京混成合唱団の伴奏のお仕事をさせていただいたことがありました。学生と言えどもプロとしての初仕事で、しかも10日間の東北ツアーということで、不安はありましたが気持ちは高まる一方でした。早速、渋谷でリハーサルがあったのですが、曲数の多さに驚いてしまいました。しかもツアー前のリハーサルは数回で終了。まだ、若かった私は、それでも「なんとかなるだろう」と思っていました。 いざツアーに参加すると、会場で練習できるだろうと思っていたのですが、なんとリハーサルなしのいきなりの本番。控え室にもピアノも何もない状況で、不安なまま本番が始まりました。そのツアーで最初に演奏した曲が「流浪の民」だったのです。あまりの動揺で指揮者を見る余裕もなく、とにかく必死にマイペースで伴奏を続けてしまい、ステージが終わったあとに指揮者の方からもの凄く怒られてしまいました。それで凹んでる時間はなく、2ステージ目が始まる直前に「これ演奏するからよろしく」と渡された譜面。譜面といっても、メモみたいな適当な記述の劣化したコピーのような譜面。曲も知らないし譜面は読めないし、練習するピアノもないし…。とりあえず本番に望んだのですが予想通りボロボロ。ベテランの方から「今までこんなはずかしい思いをしたことはないっ!」と怒鳴り散らされて、さらに凹んでしまいました。今にして思えば、客席からも笑い声が聞こえてたかもしれません。(苦笑) それでもツアーは続くのですが、あまりの落ち込みで2日目に熱を出してしまいました。もうこれで帰らせてくださいと言ったものの「伴奏者は君しかいない。代わりはいない。」とのことで、結局続けることになってしまいました。その後も、日ごとにアドリブや即興があったりで、控え室や宿舎でも周りはプロやベテランばかりで、フォローしてくれるヒトはほとんどなし。プロの厳しさを肌で十分に感じ取れたいい経験になりました。こんな重要な仕事を、経験のない私が簡単に引き受けてしまったのは、きっと若さのせいだったのでしょうか…。 ツアーの打ち上げも楽しい思いは一切無く、端の方で小さくなっていたと思います。今でも「流浪の民」が流れてくるたびに、体中の毛穴が開くぐらい恥ずかしいというか情けないというか、その時の凹んだ思い出が蘇ってきます…。プロの世界は予想以上に厳しい世界でした。 (取材・写真 / nao10 inc.) |
![]() ![]() ![]() |